奥田英朗「ララピポ」
ララピポ
奥田 英朗
“勝ち組なんて、いない。神はなぜ、この者たちに生を与えたもうたのか?”
――裏帯より
「奥田さんの新刊が出てる!」
東京遠征ライブで真っ白な灰になってしまったため、
ちょっと休息……のつもりで手にした本書。
奥田英朗と言えば、「イン・ザ・プール」の続編にあたる
「空中ブランコ」で第131回直木賞を受賞、伊良部シリーズが
好評な今をときめく作家さんですが、個人的には「最悪」「邪魔」
辺りのくら~いお話が好みです。本書はそれに類する短編集。
ヒエラルキーの最下層を書かせたらこの人の右に出る者なし。
最新爆笑小説、誕生!
いや~~~ん、お下劣。
※紳士淑女のみなさまにはお薦めできません。(作者)
――表帯より
確かに紳士淑女にはお薦めできません。15禁にしたいくらいですw
・対人恐怖症のフリーライター
・AV・風俗専門のスカウトマン
・専業主婦にして一応AV女優
・NO!と言えないカラオケBOX店員
・文芸コンプレックスの官能小説家
・デブ専裏DVD女優のテープリライター
この6人が織り成す負け犬人生。
これを読んで、登場人物に好感を抱く人はいないでしょう。
でも、彼らだってこんな風になりたくてなったわけじゃない。
環境が悪いとか社会が悪いとか、そんなのはただの言い訳で、
原因のほとんどは自分の中にあるんだけど、それを理解して
いたりいなかったり。でも、
――ありませんか?
「もういいや」って思うこと。
「中途半端な諦観」こそ、現代病の根源だと私は思う。
こうなるかならないかは本当に紙一重で、ちっぽけなプライドに
しがみ付いて生きている人間ほど、薄っぺらな紙一枚隔てた
「向こう側」の人間に嫌悪感を感じてしまう。
本書で爆笑できるのは、本書を「フィクション」と割り切れる人。
文章力は言うに及ばず、6人をうまくリンクさせてオムニバスとした
構成力もさすがで、大衆小説としての評価は◎なんですが、
奥田小説を初めて読む人にはお薦めできません。初心者には
先に記した「イン・ザ・プール」もしくは「東京物語」をお薦めします。
ディスカッション
コメント一覧
もういいや。
って思うことはたくさんございました(笑)
なりたくてなったんじゃなかったけど
なってよかったと思うことも多いな。
どうなると負けなのか、の定義も知りたいとこですな。
> どうなると負けなのか、の定義も知りたいとこですな。
人生の勝ち負けなんて個人の主観でしかないから定義は無理。
主観で決めるとしても、対象を知り尽くしてないと断定できないし。
本の登場人物ならその点で判定しやすい。
内面まで偽らずさらけ出してるわけだから。
ただ、この本の登場人物に関しては、
帯で「負け犬」と書いてあるから引用しただけね。
私の個人的な「負け」定義だったら、
「中途半端に諦め続けている人」
「引き時」を見計らっての意識的な撤退ならともかく、
「もういいや」は選択の放棄。思考の停止。
「選択しない」という選択肢を選んだ時点で、
結果に対して何かを期待する権利すらない。
ということを理解し、どんな結果をも受け流せる
ようになったらそれはそれで「勝ち」
でも「勝ち」のほうは精神論だけで語れないな。
うわー、なるほど 思考やっぱりキレ者だわ
尊敬。(太字・赤)
負け組とか勝ち組とか題名のつく本が増えてきたので
本を読まないとその著者いわく負け定義は
わからないものかもね。
そしてその言葉を使うひとが多いのも感じる
今日この頃。2ちゃんねる用語もね。
「私はこうしてこうなった!」なんてキャッチフレーズがついてる
いわゆるサクセス本はさ、「こうなったら勝ち」っていう方法や
定義が書いてあるんじゃなくて、
「『勝ち』の一つの形」を取り上げてるんやと思うよ。
私が思う「勝ち」の進行形とは、
他人が外から見て判る部分が恵まれていて、かつ、
本人がそれなりに満足している状態のこと。
ただ、人間が「勝ち」と「負け」だけに二分されている
なんて考えるのはナンセンスなので、
上の状態から外れた人すべてが「負け」とは思わない。
「勝ち」は大衆の客観と主観を合わせて生まれる。
「負け」は主観だけで確定する。
それだけ。
「勝ち」にも「負け」にも縁のない人は山ほどいる。
小説のあらすじや帯に出てくる「勝ち」「負け」は定義
云々じゃなくて、今の時世を皮肉ってるだけのが多いよ。